ケーキをまるごと差し出すということ。

親になるのは簡単じゃない。当たり前。

私がいて、相手がいて、ラッキーが重なって子どもが産まれてきたら親になれる。

本当、、、?

親になるってのは、私がいて、相手がいて、ラッキーが重なって子どもが産まれてきて、命を懸けて守るんだって思えるようになるってことなんじゃないかな。と、私は思う。

自分が親になるってことを想像してみたりする。小学生の時は、当たり前に結婚して、当たり前に子どものいる家庭を築くもんだと思ってたけど、それもなかなか簡単じゃないよな と21歳の新美は思う。恋人をつくるとか、結婚をするっていうハードルを乗り越えられたとして(この時点でだいぶ難しそう)、私が親になる選択を選べるのか。子どもがお腹にいるとき、障害があるのが分かったら、それでも産むって判断をするのか、生まれてから障害があることが分かっても愛せるのか。「ふつう」の子どもが産まれてきてほしいと思うのは当たり前なのかもしれないけど、どんな子どもでも愛せるって心の底から言えないうちは子ども欲しいとか思っちゃいけないんだろうな。

この辺も乗り越えたとして、子どもが育ってきたとき、私は親として愛情を注ぎ続けなければいけないんだと思う。明日大地震がきたらって話をお母さんとしたことがある。「避難所で1家族に乾パン1缶しかもらえなかったらどうする?」って聞いたら、お母さん「ゆりと妹に半分ずつあげるわさ」って言ってた。即答だった。何がなのか分からないけど、嬉しいなぁって思ったのを覚えてる。もしも話とはいえ、自分よりも優先できるのすごいなぁと思う。お母さんの行動を思い返してみると、1個しかないものを全部食べていいよって言ってくれたり、美味しいところを譲ってくれたり。ご飯が大好きだからご飯のことしか思いつかないけど、今の私にはできないなぁと思う。もしも話でも全部あげるなんて言えないな。一口ちょうだいとか言っちゃいそう。

子どもが産まれた時、どうやって親らしく振る舞うかのサンプルになるのは自分の親だよね。だから、虐待の連鎖なんて事象があったりするわけだけど。私は、私からみると立派すぎる親に育ててもらってるんだなって自負があって。ってなると私の親みたいな心持ちをもって子どもに接していかなくちゃいけないなと思うんだけど、今の私にはやっぱりできそうにないなぁと思う。

でもお母さん言ってた。お腹に10ヶ月もいてもらっちゃあ気持ちも不思議と変わってくるもんだよ。って。お母さんが言うなら多分そうなんだと思う。