分かり合う

曽祖父が死んだ時の悲しみと後悔は、私と妹とでは絶対的に違っていると思う。曽祖父が死んで私は悲しい。妹も悲しい。でもその悲しみと後悔の裏にある事柄も、その大きさも一緒なはずはないと思うんだ。

 

人は分かり合えるって簡単に言ったりする。話せば分かるとか、分かろうとする気持ちが大事とか。でも、話しても、分かろうとしてもその人のことや気持ちを本質的に理解することはできないと思う。悲しいって感情も一種類じゃないし、そもそも言葉で簡単に表せるもんじゃない。その感情・考えに至ったのには、その人だけの経験があってこそだと思う。それなのに、私もあなたの気持ちを理解できますよ。なんて言ってしまっていいのか。いけないだろうな。

分かる側じゃなくて分かられる側になって考えた時、あなたの気持ち分かるよなんて言われたら嘘つけよ。って思うと思う。

「〇〇ってバンド好き」

「わたしも好き」

くらいの他愛もない話しなら問題ないけど、もっと複雑な気持ちに対して分かるなんて、あり得ないと思う。

しかも「分かり合う」だから、私はあなたの気持ちがまるっきり分かるし、あなたも私の気持ちがまるっきり分かるってことだよね。そんなことあるはずないと思うんだよな。

 

話し合いをしてできることは、相手と私の気持ちの擦り合わせだろうし、分かろうとする気持ちをもってできることは、相手はきっとこうなんだろうっていう推測なのであって、分かり合うってことにはならないんじゃないかな。

 

人は分かり合えます。って言いたいところだけど、「分かる」ってことだったり、何かしらの感情に至るまでのことを考えれば考えるほど人が分かり合えるとは思えなくなる。難しい。